2019年12月28日土曜日

12月29日 主日礼拝のご案内(降誕節第1主日)

子どもの礼拝:10:15~10:30

10:25~11:30

招詞:ヨハネの手紙1 4章12章

いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

イザヤ書65章17~25章

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はいない。
それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び踊れ。
わたしは創造する。
見よ、わたしはエルサレムを喜び踊るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。
わたしはエルサレムを喜びとし
わたしの民を楽しみとする。
泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
そこには、もはや若死にする者も
年老いて長寿を満たさない者もなくなる。
百歳で死ぬものは若者とされ
百歳に達さない者は呪われた者とされる。

彼らは家を建てて住み
ぶどうを植えてその実を食べる。
彼らが建てたものに他国人が住むことはなく
彼らが植えたものを
  他国人が食べることもない。
わたしの民の一生は木の一生のようになり
わたしに選ばれた者らは
彼らの手の業にまさって長らえる。
彼らは無駄に労することなく
生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。
彼らは、その子孫も共に
主に祝福された者の一族となる。
彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
まだ語りかけている間に、聞き届ける。
 狼と小羊は共に草をはみ
獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし
わたしの聖なる山のどこにおいても
害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。

ルカ2章21~24節

 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。
これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

讃美歌:こどもさんびか34-5番

     讃美歌21-19番、271番、359番

説教題:イエスという名

説教:島津牧師


2019年12月17日火曜日

12月22日 主日礼拝のご案内(聖霊待降節第4主日・アドベント・クリスマス礼拝)

10:25~11:30

招詞:フィリピの信徒への手紙4章5節

あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

イザヤ書61章1~4節

主は私に油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み
捕らわれ人には自由を
つながれている人には解放を告知させるために。
主が恵みをお与えになる年
わたしたちの神が報復される日を告知して
嘆いている人々を慰め
シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。
彼らは主が輝きを現すために植えられた
正義の樫木と呼ばれる。
彼らはとこしえの廃墟を建て直し
古い荒廃の後を興す。
廃墟の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。

ルカによる福音書1章46~55節

そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
  目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
  わたしを幸いなものと言うでしょう、
力ある方が、
  わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低いものを高く上げ、
飢えた人を良いもので満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
マリアは、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

讃美歌:こどもさんびか34④

    讃美歌21-242番、175番、262番

説教題:神を喜びたたえます

 説教:島津牧師

2019年12月12日木曜日

12月15日 主日礼拝のご案内(待降節第3主日・アドベント3)

10:25~11:30

招詞

目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決してわからない。

イザヤ書40章1~9節

慰めよ、わたしのみ民を慰めよと
あななたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
  主の御手から受けた、と。

呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
主の栄光がこうして現れるのを
  肉になる者は共に見る。
主の口がこう宣言される。

呼びかけよ、と声は言う。
わたしは言う、なんと呼びかけたらよいのか、と。
肉なる者は皆、草に等しい。
永らえても、すべては野の花のようなもの。
草は枯れ、花はしぼむ。
主の風が吹きつけたのだ。
この民は草に等しい。
草は枯れ、花はしぼむが
わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。

高い山に登れ
良い知らせをシオンに伝える者よ。
力を振るって声をあげよ
良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声をあげよ、恐れるな
ユダの町々に告げよ。

ルカによる福音書1章67~80節

 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放し、
我らのために救いの角を、
僕ダビデの家から起こされた。
昔から聖なる予言者たちの口を通して
  語られたとおりに。
それは、我らの敵、
すべて彼らを憎む者の手からの救い。
主は我らの先祖を憐れみ、
その聖なる契約を覚えていてくださる。
これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。
こうして我らは、
敵の手から救われ、
恐れなく主に仕える、
生涯、主の御前に清く正しく。
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
主に先立っていき、その道を整え、
主の民に罪の赦しによる救いを
  知らせるからである。
これは我らの神の憐れみの心による。
この憐れみによって、
  高いところからあけぼのの光が我らを訪れ、
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
我らの歩みを平和の道に導く。」
 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人人の前に現れるまで荒れ野にいた。

讃美歌:こどもさんびか34-2番

     讃美歌21-174番、191判、238番

説教題:喜びを伝える者よ

説教:島津牧師



2019年12月7日土曜日

12月8日 主日礼拝のご案内(待降節第2主日・アドベント2)

10:35~11:40

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞 ヤコブへの手紙5章8節

あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。


列王記上22章13~17節

 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。予言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」ミカヤは、「主は生きておられる。主が私に言われる事をわたしは告げる」と言って、王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアド行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。そこで王が彼に「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、
 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事帰らせよ』と言われました。」

ルカによる福音書1章57~66節

 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は「あなたの親類にはそういう名のついた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々はみな恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々はみなこれを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

讃美歌:こどもさんびか34-1番

    讃美歌第2編48番、第1編-94番、第2編ー194番

説教題:いったい、どんな人になるのか

説教:島津牧師


 


2019年11月27日水曜日

12月1日 主日礼拝のご案内(待降節第一主日・アドベント1)

10:25~11:30


招詞:ローマ信徒への手紙 8章28節

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 




聖書:イザヤ書53章1~5節

わたしたちの聞いたことを、だれが信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
  わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。



ルカによる福音書1章5~25節

 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非の打ちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立っていき、、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

讃美歌:こどもさんびか34ー5番 

    讃美歌1-10番、96番、97番

説教題:強いられた沈黙によって

説教:島津牧師

2019年11月21日木曜日

11月24日 主日礼拝のご案内(終末主日・ 降誕前第6・収穫感謝合同礼拝)

10:25~11:30



招詞:使徒言行録20章35節


 あたながたもこのように働いて弱いものを助けるように、また、主イエスご自身が『受けるよりは与えるほうが幸いである。』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身もって示してきました。


聖書:ルツ記2章1~13節


ナオミの夫のエリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった。
 モアブの女ルツがナオミに、「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」と言うと、ナオミは、「わたしの娘よ、行っておいで」と言った。ルツは出かけていき、刈り入れをするする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、そこにはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった。
 ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに、「主があなたたちと共におられますように」というと、彼らも、「主があなたを祝福してくださいますように」と言った。ボアズが農夫を監督している召し使いの一人に、そこの若い女は誰の娘かと聞いた。
 召し使いは答えた。
 「あの人は、モアブの野からナオミと一緒に戻ったモアブの娘です。『刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください』と願い出て、朝から今までずっと立ち通しで働いておりましたが、今、小屋で一息入れているところです。」
 ボアズはルツに言った。
 「わたしの娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落ち穂を拾いに行くことはない。ここから離れることなく、わたしのところの女たちと一緒にここにいなさい。
 刈り入れをする畑を確かめておいて、女たちについて行きなさい。若い者には邪魔をしないように命じておこう。喉が渇いたら、水がめのところへ行って、若い者がくんでおいた水を飲みなさい。」
 ルツは、顔を地につけ、ひれ伏して言った。
 「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。厚意を示してくださるのは、なぜですか。」
 ボアズは答えた。
 「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。
 どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分報いてくださるように。」
 ルツは言った。
 「わたしの主よ。どうぞこれからも厚意を示してくださいますように。あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」

マタイによる福音書1章1~6a節

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンをヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。

讃美歌:子どもさんびかー34④番、9番

     讃美歌21-386①④番、486①④番

説教題:なぜ親切にして下さるのですか

説教 :島津牧師


2019年11月15日金曜日

11月17日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第24主日・降臨前第6)

10:25~11:30


招詞:エフェソ人への手紙5章19節

 詩編と賛歌と霊的な歌よって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。


聖書:創世記24章1~14節

 アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。
 アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。
 「手をわたしの腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘からとるのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れてくるように。
 僕は尋ねた。
 「もしかすると、その娘が私に従ってこの土地へ来たくないというかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよろしいでしょうか。」
 アブラハムは答えた。
 「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れてくることができるようにしてくださる。もし女がお前に従ってこちらへ来たくないというならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」
 そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向かって出発した。
 女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町はずれの井戸の傍らに休ませて、祈った。
 「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。わたしは今、ご覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください。』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう。』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」


ルカによる福音書1章35~46節

 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。マリアのあいさつをエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたのあいさつのお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
 そこで、マリアは言った。

讃美歌:子どもさんびか34③番、

    讃美歌21-174番、361番、517番

説教題:約束と慈しみと奇跡:島津牧師


2019年11月9日土曜日

11月10日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第23主日・降臨前第7)

10:35~11:30

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞:ヨハネによる福音書8章31~32節

イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あななたたちは真理を知り、真理はあななたたちを自由にする。」

聖書:創世記21章9~21節

 サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、
 アブラハムに訴えた。
 「女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」
 このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。神はアブラハムに言われた。
 「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」
 アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に背負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供のほうを向いて座り込んだ。彼女は子供のほうを向いて座ると、声をあげて泣いた。神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけていった。
「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」
 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。
 彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。

   

   ガラテヤ人への手紙4章28~5章1節


 ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、”霊”によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。
 要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。
 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

讃美歌:子どもさんびか34②番、

    讃美歌21-8番、458番、528番

説教題:真理によって自由になる:島津牧師


2019年10月31日木曜日

11月3日 主日礼拝のご案内 (聖霊降臨節第22主日・聖徒の日)

10:25~11:30

招詞:マルコによる福音書10章15~16節

「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなくては、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

聖書: 創世記22章1~19節

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。
 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。
 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。
 「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。
 「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
 アブラハムは答えた。
 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。
 「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れるものであることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。
 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたが私の声に聞き従ったからである。」
 アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。

    ヘブライ人への手紙11章17~19節

 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

讃美歌 :子どもさんびか34番①

                讃美歌21-19番、385番、381番381

説教題:主の山に備えあり

説教:島津牧師

2019年10月25日金曜日

10月27日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第20主日)

10:25~11:30

招詞:ヨハネによる福音書14章6節

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

聖書:イザヤ書55章8~11節

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
  主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
  あなたたちの思いを、高く超えている。
雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種まく人には種を与え
食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
  むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それは私の望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

    ヘブライ人への手紙11章1~3節

 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えるものからできたのではないことが分かるのです

讃美歌:子どもさんびか34⑤番、

    讃美歌21-19番、202番、564番

説教題:求め続ける人は満たされる:井上治夫 牧師


2019年10月16日水曜日

10月20日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第19主日)

10:35~11:40        *10:15~10:30 子供の礼拝

招詞:マルコによる福音書10章14節

 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはいけない。神の国はこのような者たちのものである。」

聖書:創世記15章1~8節

 これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。
「恐れるな、アブラムよ。
わたしはあなたの盾である。
あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。私に何をくださるというのですか。私には子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」
 見よ、主の言葉があった。
「その者があなたの跡を継ぐことのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の儀と認められた。
 主は言われた。
「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」
 アブラムは尋ねた。
「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」

   ローマ人への手紙9章6~18節

 ところで、神の言葉は決して効力を失ったわけではありません。イスラエルから出た者が皆、イスラエル人ということにはならず、また、アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない。かえって、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる。」すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫とみなされるのです。約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。それだけではなく、リベカが一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。その子供たちがまだ生まれもせず、良いことも悪いこともしてないのに、「兄は弟に仕えるだろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
「わたしはヤコブを愛し、
エサウを憎んだ」
と書いてあるとおりです。
 では、そういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。神はモーセに、
「わたしは自分が憐れもうと思うものを憐れみ、
慈しもうと思うものを慈しむ」
と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。
 このように、神はご自分が憐れみたいと思うものを憐れみ、かたくなにしたいと思うものをかたくなにされるのです。

讃美歌:子どもさんびか34④番、讃美歌21ー19番、202番、564番

説教題:神の言葉を出来事から知る

説教:島津牧師

2019年10月7日月曜日

10月13日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第18主日・神学校日)

10:35~11:40     *10:15~10:30 子供の礼拝

招詞:マタイ9章9節

 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

聖書:創世記12章1~9節

 主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
私が示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人たちをわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。
 アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
 主はアブラムに現れて、言われた。
「あなたの子孫にこの土地を与える。」
 アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムはさらに旅を続け、ネゲブ地方へ移った。

ヘブライ人への手紙11章8~12節

 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
 

讃美歌:子どもさんびか34番③、讃美歌21-56番、184番、73番

説教題:声がある。私に従いなさい、と。

説教:島津牧師


2019年9月30日月曜日

10月6日 主日礼拝のご案内 (聖霊降臨節第18主日・世界聖餐日・世界宣教日)

10月6日 主日礼拝のご案内 

(聖霊降臨節第18主日・世界聖餐日・世界宣教日)

10:25~11:30



招詞 : フィリピの信徒への手紙1章6節

あなたがたの中でよい業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。

聖書 :創世記11章26~32節

 テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。
 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。サライは不妊の女で、子供ができなかった。
 テラは息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子の妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。
     

    マタイによる福音書 22章23~33節

 その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄ってきて尋ねた。「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。さて、わたしたちのところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」イエスはお答えになった。「あななたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。

 

讃美歌 : 子供さんびか34番②、

      讃美歌21ー18番、127番、166番


説教題 : 神の言葉に従った人たち


説教 : 島津牧師


2019年9月25日水曜日

4月23日 公同礼拝のご案内
復活節第2主日
10時40分から11時40分まで 10:15から子どもの礼拝があります。

聖 書    ルカによる福音書24章13-35節
       1コリント書15章6-11節       

子ども讃美歌    34④  キリストのいのちが
讃美歌    21-334  よみがえりの日に エマオの道で
       21-335  われらの 主イエスは
       21-507  主に従うことは なんとうれしいこと
説教 「最後に、この私にも」 島津 晃牧師


礼拝後、お茶の会があります。どなたも気軽に参加下さい。

2018.4.1 イースター礼拝のご案内

4月1日 公同礼拝
復活主日 イースター・子どもと合同の礼拝
10時30分から11時30分まで

聖 書    マルコ福音書16章1-8節
       1コリント書 15章1-5節
       黙示録1章18節

讃美歌    21-331  主はよみがえられた
子ども讃美歌     86  夜明けの星が 光る頃
讃美歌    21-333  主の復活 ハレルヤ
       21- 69  神は そのひとりごを

説教「さあ、あなたのガリラヤへ行け」島津 晃牧師

礼拝の中で 洗礼式があります。
愛餐会(昼食会)があります。
イースターエッグをさしあげます。
小さなお子さんもご一緒に、どなたも気軽においでください。

9月29日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第17主日)交換講壇

9月29日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第17主日)

交換講壇 10:25~11:30

聖書 : アモス書 5章18~24節

災いだ、主の日を待ち望むものは。
主の日はお前たちにとって何か。
それは闇であって、光ではない。
人が獅子の前から逃れても熊に会い
家にたどりついても
壁に手で寄りかかると
その手を蛇にかまれるようなものだ。
主の日は闇であって、光ではない。
暗闇であって、輝きではない。

わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。
祭りの捧げものの香りも喜ばない。
たとえ焼き尽くす献げ物をわたしにささげても
穀物の献げものをささげても
わたしは受け入れず
超えた動物の献げも物も顧みない。
お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。
竪琴の音もわたしは聞かない。
正義を洪水のように
恵の業を大河のように
尽きることなく流れさせよ。

     ルカによる福音書 13章10~17節

 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「夫人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」こう言われると、反対者はみな恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

招詞 : ペトロへの手紙1 5章7節


 

讃美歌 : 子供さんびか34番①、

      讃美歌21ー56番、524番、407番


説教題 : 安息日は解放の日


説教 : 柳谷牧師


2019年9月18日水曜日

9月22日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第16主日)     

9月22日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第16主日) 

    10:35~11:30 

    *10:15~10:30子供の礼拝



聖書 : マタイによる福音書 18章1~14節

 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきりっておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。私の名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
 「しかし、私を信じるこれらの一人をつまづかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまづかせるから不幸だ。つまづきは避けられない。だが、つまづきをもたらすものは不幸である。もし片方の手か足があなたをつまづかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまづかせるなら、えぐりだして捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ入れられるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」
 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹うぃ山に残しておいて、迷い出た一匹を探しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父のみこころではない。」

    コリント人への手紙2 7章2~16節

 わたしたちに心を開いてください。わたしたちは、だれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。あなたがたを責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。わたしは、あなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな艱難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。

 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によって、わたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたが、わたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは、神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずにすみました。神の御心に敵った悲しみは、取り消されることのない救に通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。神様の御心に敵ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。こういうわけでわたしたちは慰められたのです。

 この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。わたしはあなたがたのことを少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、あなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実になたのです。テトスは、あなた方一同が従順で、どんなにおそれおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを、喜んでいます。

招詞 : 箴言14章26~27節

主を畏れれば頼るべき砦を得 子らのためには避けどころを得る。
主を畏れることは命の源 死の罠を避けさせる。

 

讃美歌 : 子供さんびか34番⑤、

      讃美歌21ー359番、441番、92番


説教題 : 神からの悲しみは救いをもたらし


説教 : 島津牧師