2022年5月19日木曜日

5月22日 主日礼拝のご案内(復活節第5主日・地区交換講壇)

スマホとLINEによる礼拝参加が可能です。ネット配信はしていません。

希望される方は akotozakura@yahoo.co.jp まで事前にお問い合わせ下さい。

10:30~

招詞:あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、  憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。(コロサイの信徒への手紙3章12節)

讃美歌:こどもさんびか34番-1番
    讃美歌21-325番、494番

説教:「見ないで信じる者の平和」  川本 恵子 牧師

イザヤ書42章1-9節

見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない
この地に裁きを置くときまでは。
島々は彼らの教えを待ち望む。

主である神はこう言われる。
神は天を創造して、これを広げ
地とそこに生ずるものを繰り広げ
その上に住む人々に息を与え
そこを歩く者に霊を与えられる。
主であるわたしは、恵をもってあなたを呼び
あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光として
あなたを形づくり、あなたを立てた。
捕らわれ人をその枷から
闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

わたしは主、これがわたしの名。
わたしは栄光をほかの神に渡さず
わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。
見よ、初めのことは成就した。
新しいことをわたしは告げよう。
それが芽生えてくる前に
わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。

ヨハネによる福音書19章19-29節


ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織であった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、
 「彼らはわたしの服を分け合い、
 わたしの衣服のことでくじを引いた」
という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。


2022年5月13日金曜日

5月15日 主日礼拝のご案内(復活節第5主日)

 スマホとLINEによる礼拝参加が可能です。ネット配信はしていません。

希望される方は akotozakura@yahoo.co.jp まで事前にお問い合わせ下さい。

10:30~

招詞:あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐           れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

       (コロサイ3章12節)

讃美歌:こどもさんびか34番5番

    讃美歌21ー171番、509番

説教:「命の声が響いている」  島津 晃 牧師


イザヤ書8章9~15節

 諸国の民よ、連合せよ、だがおののけ。

 遠い国々よ、共に耳を傾けよ。

 武装せよ、だが、おののけ。

 戦略を練るがよい、だが、挫折する。

 決定するがよい、だが、実現することはない。

 神が我らと共におられる(インマヌエル)のだから。

主は御手をもってわたしをとらえ、この民の行く道を行かないように戒めて言われた。

あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを  

  何一つ同盟と呼んではならない。

彼らが恐れる者を、恐れてはならない。

その前におののいてはならない。

万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。

あなたたちが畏るべき方は主。

御前におののくべき方は主。

主は聖所にとっては、つまづきの石

イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩

エルサレムの住民にとっては

仕掛け網となり、罠となられる。

多くの者がこれに妨げられ、倒れて打ち砕かれ

罠にかかって捕えられる。

 

ヨハネによる福音書21章1~14節

 その後、イエスはティべりアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペテロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。
 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜何にもとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引きかげることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に、魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが使者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
 


2022年4月9日土曜日

4月10日 主日礼拝のご案内(受難節第6主日・しゅろの主日・パームサンデー)

  スマホとLINEによる礼拝参加が可能です。ネット配信はしていません。

希望される方は akotozakura@yahoo.co.jp まで事前にお問い合わせ下さい。

10:30~

招 詞 キリストは人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、しかも十字架の死にいたるまで従順でした。(フィリピ2章8節)


讃美歌 キリストのゆるしが 私たちの心の すみずみにまで ゆきわたりますように。

 21-311 血潮したたる  21-280 まぶねのなかに


説 教:見よ、この人を 島津 晃

イザヤ書 52章1-8節 

主なる神はこう言われる。はじめ私の民はエジプトに下りそこに宿った。また、アッシリア人は故なくこの民を搾取した。

そして今、ここで起こっていることは何か、と主は言われる。私の民はただ同然で奪い去られ、支配者たちはわめき、私の名は常に、そして絶え間なく侮られている、と主は言われる。

それゆえ、私の民は私の名を知るようになるであろう。それ故、その日には、私が神であることを「見よ、ここにいる」と言う者であることを知るようになる。


ヨハネ福音書 19章1-12節 

そこでピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやってきては「ユダヤ人の王、万歳」と言って平手で打った。

ピラトはまた出てきて言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引きだそう。そうすれば、私が彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう」

イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出てこられた。ピラトは「見よ、この男だ」と言った。

祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。

ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架に着けるが良い。私はこの男に罪を見いだせない」

ユダヤ人たちは答えた。「私たちには律法があります。律法によれば、この男は死罪にあたります。神の子と自称したからです」

ピラトはこの言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。

そこでピラトは言った。「私に答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、この私にあることを知らないのか」

イエスは答えられた。「神から与えられなければ、私に対して何の権限もないはずだ。だから、私をあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」

そこでピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています」


2022年3月13日日曜日

3月20日 主日礼拝のご案内(受難節第3主日)

 スマホとLINEによる礼拝参加が可能です。ネット配信はしていません。

希望される方は akotozakura@yahoo.co.jp まで事前にお問い合わせ下さい。

10:30~

招 詞 あなた方は神に愛されている子どもですから、神にならう者になりなさい(エフェソ 5:5)


讃美歌 キリストの光が 私たちの心の すみずみにまで ゆきわたりますように。

 21-284 荒野の中で  21-196 主の内にこそ


説 教:いのちの道案内 島津 晃


列王記上 19:15-18 

主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。

 ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。

ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。

しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」尋ね求めよ、見出しうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ、悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち返るならば,主は憐れんでくださる。私たちの神に立ち返るならば、豊かに赦して下さる。


ヨハネ福音書 14:1-7 

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。

わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」

トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」


2022年2月13日日曜日

2月20日 主日礼拝のご案内(受難節前第2主日)

 スマホとLINEによる礼拝参加が可能です。ネット配信はしていません。

希望される方は akotozakura@yahoo.co.jp まで事前にお問い合わせ下さい。

10:30~

招 詞 あなた方の誰一人、罪に惑わされないように

               (ヘブライ 3:13-14)


讃美歌 キリストの力が 私たちの心の すみずみにまで ゆきわたりますように。

 21-358 小羊をば、ほめたたえよ  21-484 主われを愛す


説 教:本心、本音の求め 島津 晃


イザヤ書 55:6-7 

主を尋ね求めよ、見出しうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ、悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち返るならば,主は憐れんでくださる。私たちの神に立ち返るならば、豊かに赦して下さる。


マタイ福音書 6:25-34 

だから言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず,倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養って下さる。あなた方は鳥よりも価値あるものではないか。あなた方のうち誰が,思い悩んだからといって寿命を延ばすことができようか。何故、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず,紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて,明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ,神はこのように装ってくださる。まして、あなた方はなおさらのことではないか。信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか,何を飲もうか,何を着ようかと思い悩むな。それらは皆、異邦人が切に求めているものだ。あなた方の天の父は、これらの物が皆、あなた方に必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは皆、加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は,その日だけで充分である。


2021年9月8日水曜日

9月12日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第17主日)

 リモートによる礼拝参加も可能です。今のところ、スマホとLINE

希望される方はakotozakura@yahoo.co.jpまで

10:30~

招詞:わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

(ヨハネによる福音書14章27節)


レビ記19章23~25節

  あなたたちが入ろうとしている土地で、果樹を植えるときは、その実は無割礼のものとみなされねばならない。それは三年の間、無割礼のものであるから、それを食べてはならない。四年目にすべての実は聖なる者となり、主への賛美の献げ物となる。五年目にあなたたちはその実を食べることができる。こうすれば収穫は増し加えられる。わたしはあなたたちの神、主である。

コリント信徒への手紙2 11章22~33節

彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばし旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁伝いにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。

讃美歌:こどもさんびか34番ー①
    讃美歌21-197番、56番

説教:一心になってしたこと 島津牧師

2021年8月29日日曜日

9月5日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第16主日)

 リモートによる礼拝参加も可能です。今のところ、スマホとLINE

希望される方はakotozakura@yahoo.co.jpまで

10:30~

招詞:ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。」(ルカによる福音書17章20節)

レビ記19章33~34節

 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちの土地に寄留するものをあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。

テモテへの第二の手紙4章5~8節

しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
 わたし自身は、既にいけにえとして奉げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けてくださるのです。しかし、わたしだけではなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

讃美歌:こどもさんびか34ー5番

    讃美歌21-204番、120番

説教:主の家に帰る    島津牧師